悲しきアンコールワット


悲しきアンコール・ワット (集英社新書)

悲しきアンコール・ワット (集英社新書)

カンボジアで読んだ本。

悲しきアンコールワット

カンボジアで読んだ本

組織ぐるみ、国家ぐるみでアンコールワットの膨大な遺跡が遺跡外、国外に持ち出されているそうです。
「模造品を模造品として製作すれば合法的だし、保存にも役立つ。だが、模造品をモンモノらしくつくって出自を偽れば犯罪である。その違いは、ほんのわずかなものであり、その気になればいつでも立場を変えることができるのである」という一文が印象的でした。


1978年12月、ポル・ポトが率いる民主カンボジア政府軍がベトナムに総攻撃をかけ、翌1979年から多くのカンボジア人がタイとの故郷付近に集まりはじめた。「森の中には、女性や子供たちが何人も無視の息で横あたわっている。声をかけても動かない。顔にハエがとまっている。死んでいるのではない。東京から持ってきた薬を口にくわえさせるが、飲み込む力もないのか、入っていかない。」、「彼らの八割が熱帯性のマラリアにかかっていた」

一般に公開されている施設で最も多くのアンコール遺跡を保有しているのは、プノンペンカンボジア国立博物館で、ここには12,000点以上の遺跡がある。そのうち一般に公開されているのは一割にも満たないが…。

シェムリアップ川沿いにあるアンコール遺跡保存管理署はフン・セン周荘の直接の管理下にあり、数十人の武装兵の管理下にある。ここには、カンボジア国立博物館の数倍の文化財がある。ここは文化遺産の集積所であるとともに、密売人にとっての宝の山である。

彫像などを盗んだり運んだりする「エージェント」の中には考古学者もいて、保存管理署からもどんどん流出している。彼らは、「シェムリアップのホテルは遺跡の彫像の石で建設された」という。アプサラは、闇市場では石造一キロに対して金一グラムで取引されている。

今でも遺跡の盗難は続いているので、残っていた約2,000点の基調な彫像は彼らが取り外し、代わりに模造品をはめ込んでいる。

国外に持ち出す遺跡の仕入れは、「エージェント」が行っており、その全部が旧ポル・ポト支配地に拠点がある。

骨董品に限らず、カンボジアの密輸で儲けているのはカンボジア人ではなくベトナム系華僑ばかりである。これがカンボジア人のベトナム人嫌いの原因の1つである。

1979年1月7日、ベトナム軍がプノンペンを制圧してカンボジアの人々を恐怖政治から解放した日から1989年9月26日にベトナム軍がカンボジアから撤退するまでの約10年間についてはほとんど知られていない。外国人ジャーナリストはすべて国外に追放したのが第一の原因であるが、その間、多くの遺跡がベトナム軍によって盗掘・略奪されたとされている。また、ベトナム軍撤退後も、今度は、カンボジア政府軍が文化財の略奪をしていた。

ポル・ポト政権の重要人物であったタ・モク参謀総長が逮捕されたとき、彼の自宅からは61点の文化財が押収され、それらはポル・ポト派の本拠地だったアンロンベン周辺の寺院から略奪したものだった。ポル・ポト派の資金源の一つが古美術品や文化財の密輸であった。

ユネスコの「文化財の不法な輸入、輸出及び所有権移転を禁止し及び防止する手段に関する条約」の11条で外国による強制的な文化財の輸出及び所有権移転が禁止されているが、これは文化財を「盗まれた」国がそのことを加盟各国に通知する必要がある。カンボジア、日本、フランス、アメリカなど約100か国が加盟しているが、イギリスはこれに加盟していない。50年以上前の文化財は「基本的には」適用外であるが、カンボジア政府が「盗難届」を各国の外務省に送付すれば摘発の対象になるが、カンボジア政府はそのような手続きを一切していない。

ギリシャパルテノン神殿の大理石彫刻などの文化財の返却を求め、収蔵するための博物館の建設計画をすすめているが、ルーブルやメトロポリタンなど世界の18の博物館や美術館は現保有国への返還には応じられないという声明を出した。

「仏像は近代的な美術館よりも、お寺にある方がふさわしい。ギリシャの彫刻は大英博物館よりも、アテネの山の方が似合うはずだ。そして、アンコールの遺跡群から盗まれたり略奪された古美術品や文化財は、アンコールの森のなかにあるべきである。」
タイのアランヤプラテートの税関では密輸が発覚して65トンの美術品が押収されたが、そのうち戻ってきたのは17トンにすぎない。予算がないので受け取るためのトラックが出せないどのこと。

サザビーズの、タイから出品されたリストには、合法的には入手できないはずのタイ、ジャワ、チベットなどの美術品やクメールのものが大量に含まれていた。

あるぐつーぷが三体を盗み、それらを数百個のブロックに分け、6台のトラックに積んで国境を越えようとしたが、その1台がパンクして運転手が国境の軍に逮捕された。が、残り5台のトラックの行方は不明である。

国の公的な研究・保存機関である「保存管理所」にも模造品をつくる職人がいる。彼らは保護するために遺跡から本物を取り外したあとに置くための模造品をつくっている。

「模造品を模造品として製作すれば合法的だし、保存にも役立つ。だが、模造品をモンモノらしくつくって出自を偽れば犯罪である。その違いは、ほんのわずかなものであり、その気になればいつでも立場を変えることができるのである」