南京事件の探究


その実像をもとめて 「南京事件」の探究 (文春新書)

その実像をもとめて 「南京事件」の探究 (文春新書)

上海・南京に行く予定だったので、上海で読んだ本。
南京事件」という言葉は知っていましたが、詳しくは知らなかったので旅行を機に読もうと思いました。
内容な矛盾する資料があり、様々な解釈があり、論争が未だに続いていることをはじめて知りました。被害の大小や内容の程度に多くの説があるとしてもここで多くの中国人が日本軍によって殺害されたことは事実であり、中国人がその事実を忘れられないことは理解できます。この事実を頭の隅に置きつつ、中国とよい関係を気付いていきたいと思いました。

南京事件」とは、1937年12月に日本軍が中華民国の首都 南京市を占領した際、約6週間 - 2ヶ月にわたって多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件。極東国際軍事裁判で松井被告らがB級戦犯として処刑された。殺害人数、残虐行為の内容、兵士の殺害に関する国際法の解釈などについて、多くの説があり、「虐殺派」、「中間派」、「まぼろし派」などに分けられる。
□殺害人数
数千人〜30万人以上という説がある。

  • 当時の南京城内の安全区には20万人しかおらず、安全区以外にはほとんどいなかったので30万人を殺害することは不可能。
  • 兵士、更衣兵も合わせると30万人以上と考えられる。
  • 中国の資料では、「スマイス報告」の数字を引用して、1937年11月には南京に50万人が住んでいたとあり、多くの資料に1937年2, 3月に20万人とある数字を差し引いて30万人が虐殺されたとしている。しかし、「スマイス報告」では、30万人近い人口減は中国政府機関が全部疎開したためとしている。
  • 「スマイス報告」によると、50戸から1戸を選んで家族の人数・被害を調査したところ、兵士の暴行による死者2400人、南京市の人口22万という数字が算出されている。が、極東国際軍事裁判判決文では、南京市民の保護義務を怠ったことのみに言及しており、殺害人数が30万人だったか2400人だったかについては触れていない。

□兵士の殺害に関する国際法の解釈
「ハーグ陸戦法規」によると、軍服を着用し武器を公然と携帯して降伏した戦争捕虜は軍事裁判によって処遇を決定するべきであるが、この条件を満たさない更衣兵については厳密には規定されていない。南京事件中に殺害された中国人の多くは更衣兵であったとされるため、この解釈をめぐって議論が続いている。
□その他

  • 欧米人観察者たちは、日本軍の中国人殺害現場に立ち会ったが、「合法的な死刑執行」としている。
  • 「成り行きで物事を無原則に処理してしまう」、上司が「適宜処理せよ」と言い、説明責任を考えない、責任を回避する日本人社会の考え方が影響している。
  • 中国人僧侶に女性を犯すように迫り、拒否した僧侶たちの性器を切り落としたとされるが、「宦官」の伝統をもつ中国人ならではの発想に基づく作り話と考えられる。
  • 崇善堂と紅卍会の2つの団体がトラックで城内、城外遺体を処理した。紅卍会がトラック約10台で4月中に6日作業をし、3000体あまりを処理したのに対し、崇善堂はトラックが1台で4月中に場外で一気に10万体!?を処理したと報告している。
  • 林思伝は、近代に入り、中国にんには国を愛するあまりの誇張表現である「愛国虚言」が出現したと言っている。