東京都クラブ戦

先週の東京都クラブ戦が今週に延期になり、ほとんどのメンバーが仕事等用があるということで出れなくなってしまったため、ソフトテニスの試合1年半ぶりにも関わらず、しかも2部の試合にでることになりました。

硬式はやっているから何とかなると思いましたが、空振りはしなかったものの、4-2で負けてしまいました。それ程強そうではなかったのでいけるかなと思ったのですが・・・。3ゲーム目、私が3本連続で失点したのが痛かった・・・。大場が応援にきてくれたり、見留が応援メールくれたりと、みんなの気持ちがとっても嬉しかったのですが、何だか申し訳ない。

何より、のりちゃんの落ち込み方が痛々しかったです。人がいて盛り上がっているときにグループで楽しくやるのは簡単だけど、人がいないときにそれを維持するのがどんなに大変か、維持するためにどれほど精神を消耗するか、私もよく分かっているつもりだから、のりちゃんの疲れがよく分かります。

まっちー結婚披露パーティ

まっちーとちーちゃんの結婚披露パーティが青山のレストランでありました。まっちーが「ちーちゃんのまわりにはいい男がいっぱいいるのに、その中で自分を選んでくれたから、世界一のいい男になる」と言っていたのと、エースとサムズの代表の人たちにふたりから表彰状を送っていたのにジーンときました。

末永くお幸せに♪

職業としての学問

職業としての学問 (岩波文庫)

職業としての学問 (岩波文庫)

ハイデガーが学問とは何かということについて、講義をしたときの講義録。正直、何をこの講義で伝えたかったのか(教師に対しての講義ではないはずなので、教師のありかたではなかったはず)、分かりませんでしたが、いくつか心に残る主張があったので書きとめておきます。

  • 教師は主張するべきではない、指導者たるべきではない
    • 教師は自分の立場を押し付けてはいけない
  • 学問は極めてはじめてものになる
    • 自分の道を極めることによってはじめて「後にまで残るような仕事を達成した」と言える
    • 一般に思いつきというものは、人が精出して仕事をしているときに限ってあらわれる
  • 学問の意義
    • 学ぶことで、呪術や祈りに頼らず、技術と予測によって意のままにできる
    • レオナルド・ダ・ヴィンチが生きた近世初期には、学問は神に到達するための道と考えられていた。今は、学問とは、世界の「意味」を取り去るものであるため、神とは縁遠いと考えられている。
    • トルストイは、「学問とは無意味な存在である、なぜなら、それはわれわれにとってもっとも大きな問題、すなわち、われわれは何をなすべきか、いかにわれわれは生きるべきか、にたいしてなにごとをも答えないからである」としているが、ウェーバーは、それがどのような意味で「なにごとも」答えないか、正しい問い方をすれば別のことで貢献するのではないかということが大事であるとしている。
    • 自然科学は、もし人生を技術的に支配したいと思うならわれわれはどうすべきであるか、という問いに対しては答えてくれる。ただし、このとき、「人生を技術的に支配する」という大前提があり、そもそも技術的に支配されるべきかどうか、そのことをわれわれが欲するかどうかということには言及しない。