職業としての学問
- 作者: マックスウェーバー,Max Weber,尾高邦雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1980/11
- メディア: 文庫
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ハイデガーが学問とは何かということについて、講義をしたときの講義録。正直、何をこの講義で伝えたかったのか(教師に対しての講義ではないはずなので、教師のありかたではなかったはず)、分かりませんでしたが、いくつか心に残る主張があったので書きとめておきます。
- 教師は主張するべきではない、指導者たるべきではない
- 教師は自分の立場を押し付けてはいけない
- 学問は極めてはじめてものになる
- 自分の道を極めることによってはじめて「後にまで残るような仕事を達成した」と言える
- 一般に思いつきというものは、人が精出して仕事をしているときに限ってあらわれる
- 学問の意義
- 学ぶことで、呪術や祈りに頼らず、技術と予測によって意のままにできる
- レオナルド・ダ・ヴィンチが生きた近世初期には、学問は神に到達するための道と考えられていた。今は、学問とは、世界の「意味」を取り去るものであるため、神とは縁遠いと考えられている。
- トルストイは、「学問とは無意味な存在である、なぜなら、それはわれわれにとってもっとも大きな問題、すなわち、われわれは何をなすべきか、いかにわれわれは生きるべきか、にたいしてなにごとをも答えないからである」としているが、ウェーバーは、それがどのような意味で「なにごとも」答えないか、正しい問い方をすれば別のことで貢献するのではないかということが大事であるとしている。
- 自然科学は、もし人生を技術的に支配したいと思うならわれわれはどうすべきであるか、という問いに対しては答えてくれる。ただし、このとき、「人生を技術的に支配する」という大前提があり、そもそも技術的に支配されるべきかどうか、そのことをわれわれが欲するかどうかということには言及しない。